- ニカイア帝国と勢力を競ったエピロス専制侯国は、王室の活発な建築活動が認められ、洗練された建築物とは言えないものの、礼拝堂建築が数多く残る。
- これ以降エピロスの力は衰えて分裂を起し、代わってニカイア帝国がバルカン半島にも領土を広げてコンスタンティノポリス奪回の最有力勢力となった。
- ビザンティン諸公国のうち、最も活動的であったニカイア帝国は、多くの建築を建立したが、そのほとんどは現在には残っておらず確実なことは言えない。
- ニカイア帝国ではプロノイアは限定された地域に限られていて、ヨハネス3世はプロノイアの土地は国家の管理下にあるものであり、売買を固く禁じている。
- 彼はニカイア帝国、及び復興した東ローマ帝国宮廷の女性を妻に迎え(下記参照)、息子トーマースの妻にもミカエル9世パレオロゴスの娘アンナを迎えた。
- その後、1261年に東ローマ亡命政権のニカイア帝国がコンスタンティノポリスを奪回して正教会の総主教座が復活し、カトリックの総大司教は追われた。
- ミカエル?パレオロゴスはニカイア帝国で権勢を揮い、1259年に幼い皇帝ヨハネス4世ラスカリスの摂政、ついで共同皇帝となって実権を掌握するに至った。
- 第4回十字軍による帝都陥落後に建てられた各地の亡命政権の中でもっとも力をつけたのは、小アジアのニカイアを首都とするラスカリス家のニカイア帝国だった。
- 亡命政権ニカイア帝国は1261年にラテン帝国を滅ぼし、ミカエル8世パレオロゴスがコンスタンティノポリスにおいて皇帝となり、東ローマ帝国の復活を果たした。
- その後、ニカイア帝国の皇帝ヨハネス3世ドゥーカス?ヴァタツェスは競合関係にあったエピロス専制公を降し、改めて専制公の称号を与えてこれを名目上の属国とした。
Last modified time:Thu, 14 Aug 2025 00:29:56 GMT