この地方はもともと中部ミンダナオ地方(Central Mindanao, Region XII)と呼ばれ、ラナオ?デル?ノルテ州、ラナオ?デル?スル州、コタバト州、スルタン?クダラット州及びマギンダナオ州の地域を含んでいたが、ラナオ?デル?ノルテ州、サルタン?クダラト州、コタバト州が1990年にARMMを作成。
1619年から1671年にかけてスルタンの地位にあったムハンマド?ディパトゥアン?クドラトゥッラー?ナシルッディーン(Sultan Muhammad Dipatuan Kudarat、一般には「スルタン?クダラット」 Qudarat の名で知られる)の時期、マギンダナオ王国はミンダナオ島の北部、および周囲の諸島やヴィサヤ諸島の一部までを征服し、ミンダナオ島全土を支配する最盛期を実現した。
13世紀から現在のコタバト州周辺に築かれたマギンダナオ王国(Sultanate of Maguindanao)は17世紀、スルタンのクダラット(Qudarat、ムハンマド?ディパトゥアン?クドラトゥッラー?ナシルッディーン Muhammad Dipatuan Qudratullah Nasiruddin)の治世にはミンダナオ島全土と周辺の島々も征服し、スペイン人植民者も手を出せない存在となった。